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山本ビニターの歴史
創業期(1953年~1976年頃)

日本におけるPVC(塩化ビニール)産業の萌芽

日本におけるPVC(塩化ビニール)産業の萌芽

日本におけるPVC(塩化ビニール)産業の萌芽

太平洋戦争の壊滅的な打撃から日本がようやく立ち直り始めた1953(昭和28)年3月、山本晴敏(当時27歳)は大阪市南区に「山本ビニール株式会社」を設立。ビニール生地の販売と加工製品の製造販売を始めました。

ビニール製品が日本市場に登場したのは終戦直後。山本ビニールの創立はビニール業界のまさに萌芽期でした。新素材として注目されたビニールへの期待は高く、仕入れと同時に買い手がつく状態でした。

原反の卸売にとどまらず、収益性の高いビニール製品の製造販売を強化し、自社ブランドの製品に取り組むことで事業基盤を固めることになりました。
開発には市場のニーズに明るく機械に強かった当時の専務が主体となり、先端技術であった「高周波ウェルダー」に注目。高周波研究所を設立してその開発をスタートしました。高周波による加熱溶着は縫製加工のようなミシン穴ができず、水漏れ・破れを防ぐうえに仕上がりが美しく、工程の省力化も実現する画期的なものだったのです。

高周波ウェルダーの開発

高周波ウェルダーの開発

高周波ウェルダーの開発

高周波ウェルダーの開発

高周波ウェルダーの開発

高周波ウェルダーは金型に高周波電流を流し、電界作用によって物質の内部から発熱させ溶着する機械。欧米製品は早くから出ていましたが、日本製はまだ試作の段階でした。
当時はテレビの普及期でもありましたが、高周波加工をすると近隣のテレビ映像が乱れることが問題となることもありました。
開発チームは試行錯誤の末、業界に先駆けてこの問題を解決。テレビを高周波ウェルダーに直接乗せても映像が乱れない技術を開発したのです。数々の特許を取得し、「技術の山本」の名を広めることとなりました。

業績はおおむね右肩上がりに進展し、1957(昭和32)年には南区高津に念願の本社ビルが完成します。新社屋には今後の海外展開を見据えた貿易部が入居。台湾・韓国などの新市場にスピーディーに対応する体制を整えます。同時に事業の多角化にも乗り出し、全国レベルの販売・生産、顧客サービスのネットワークを整備していきます。

社名を「山本ビニター株式会社」に改称したのは1969(昭和44)年。すでに業界で優秀性が広く知られていた高周波機械のブランド名「ビニター」を取り入れることで、高周波機器関連の事業を今後の柱として位置づけるものでした。

すでに欧米の技術をキャッチアップし、世界第一級の水準に到達していました。そのため海外との交流も製品・機器の交易にとどまらず、技術指導・援助の側面を持ち始めていました。1965(昭和41)年にはアフリカのタンザニア、ケニアに、台湾などの東南アジア、さらには南米などグローバルに輸出と技術支援を行っています。

八尾工場の完成で開発を加速

八尾工場の完成で開発を加速

八尾工場の完成で開発を加速

八尾工場の完成で開発を加速

1967(昭和42)年、急増する高周波機器の需要に対応すべく、大阪府八尾市に当時の業界としては破格の規模で工場を新設。八尾工場の完成により、さまざまな新鋭機の開発が加速されていきます。工場での総合展示会には高い関心が集まり、1987(昭和62)年には500社800人もの来場を見るほどとなりました。
新天地を開いたのは木材の接着加工でした。従来の自然乾燥による接着では乾きが遅く、非常に生産性の悪いものでした。高周波で接着すれば瞬時に行え、工程も流れ作業にできると当時の専務はここに目をつけ、開発に取り組みます。木材そのものの研究から、厚さや強度、含水率、適した接着剤の開発などさまざな課題が立ちふさがりましたが、試行錯誤の連続で次々に克服していきました。

木材用高周波装置が実用化され、その成果が知られるようになると、大手の楽器メーカーから依頼が舞い込みます。「ピアノの構造材の外側に仕上げ材である化粧板を両面同時接着する機械を作ってほしい」。それまで5~6時間かかっていた工程の短縮が期待されていました。すぐに機械を製造し接着テストした化粧板のサンプルを送ります。すると…。
帰ってきたのは音響に関するクレームでした。高周波の加熱による木材への影響が、ピアノの命である音を変えてしまったのです。不眠不休の改良を行いましたが、うまくいかず、ついには断ろうとしたこともありましたが、ついにはすべてを克服。今では全世界の楽器工場で当社の機械が活躍しています。
楽器という未経験の領域への挑戦が、山本ビニターの技術に新たな可能性を与えた瞬間でした。